高校受験 併走母のつぶやき

早慶附属高校、都立トップ高、2020年2月の高校受験に向けて → 2020年4月早慶附属高進学の上の子 & 2022年2月高校受験の下の子、の記録

宴の終わり 後編

(前編からの続きです。)



話が前後しますが、雪だるまを作る前の数時間、早稲アカ校舎の校長先生と志木高の一次合格者とで、zoomにて面接の練習がありました。

そのzoomの待合室にいたメンバーを聞いて、私はますます不安にかられました。
開成&筑駒チームや、3科でも常に早慶選抜にいたトップレベルの子達の名前ばかりだったからです。

下の子と一緒に楽しく必勝会場に通っていた仲間達はどうしてしまったのだろう…。
志木高を志望していたはずだし、みんなそれなりに得点できそうなものなのに、うちだけが一次を通ったのだろうか。
もし下の子がギリギリの位置にいるのなら、このまま進んでも二次でダメな可能性が高いのだろうか。

口には出しませんでしたが、不安ばかりが増大し、一人で頭の中がパニックになっていました。



そして迎えた11日。

泣いても笑っても早慶附属高の入試はこの日で全て終了します。

志木高の面接は雪の影響で時間帯の変更があり、下の子はかなり遅いグループになりました。

あと少しで早大学院とダブル受験できそうなタイミングでしたが、やはり不公平が生じないよう、それはできないように配慮してあるのかと思います。


開始が遅れて時間が押しているはず、きっと「対策も全部無駄だったね。」というくらい、あっさりした面接で終わるのでは?と予想していました。

が、時間は5分ほどだったようですが、本人の感覚的には思ったよりずっと密な面接だったようです。


軽く自己紹介、併願校についての話、そのあとに、願書に記載した内容について、かなり突っ込んで聞かれたそうです。(主に志望学部や、その学問に関して。他に記載した志望動機について。)


願書の内容を聞かれることは想定していましたので、自分の思いを伝えられるよう対策はしていました。
ただ、推薦の面接ではないので、そこまで突っ込まれるとは思わず、、やはり願書に書いたことは、相当練ってから面接にのぞんだほうがいいかもしれません。

そもそも志望学部などの話も、「具体的に書かなきゃダメ」と早稲アカの先生に何度も添削を返されて、苦肉の策で記載した話(嘘というほど的外れな内容ではない )だったのです。


下の子は少しガッカリした様子で帰宅して、

難しくて2問答えられなかった。他もあまり自信ない。(←筆記試験じゃないんだから。笑、と思いましたが。)
「すみません。わかりません。」と言ったら、「じゃあ高校に入ってから考えようね。」と面接官の先生に言われた。あれは、別の高校で考えてね、って意味なのかなあ。

なんて言っていました。


「まぁ大丈夫よ。よっぽどヤラカシてなければ基本は試験の点数だから!」

と元気づけたつもりが、

「よっぽどヤラカシたかも、、、」

「…… (^^;
でも、やれることはやって面接受けたんだし、もうそれでいいんじゃない?」


たとえ質問に上手に答えられなくても、受け答えの様子などから、下の子の中の誠実な部分が先生方に伝わってるといいなぁ、と、祈るような気持ちで翌朝を迎えました。

今年は塾高の面接がなくなりましたので、翌日12日に一気に運命の発表です。



まずは10時に志木高。

正規合格がもし無理でも、補欠の番号を早く知りたい。可能な限り上の補欠番号だといいけど…、ドキドキするねぇ、、とクリック。


「合格おめでとうございます。」


え?

受かってるの???

やったーーーっっ!!!!!!!


思えば、この朝の合格がなにより嬉しかったです。ここで正規合格をいただけて、あとは気持ちが一気に楽になりました。


続いて13時の塾高

こちらは予想得点的に志木高より可能性が高いだろうと思っていたので、あちらが正規ならこちらも…?と、期待しながらクリック。


「合格おめでとうございます。」


おーーーーっ!!
すごい!!!!


最後に17時の早大本庄

ここはもうリラックスした雰囲気で、「ここまで来たら全勝したい。」と下の子が言うので、「うん。確かにね。なんかイケそうな気がしてきたね。」なんて話しながらクリック。


「合格」


の二文字を見て、この時点で下の子の高校受験は全て終了しました。

そして合格をいただけた中から、第一志望だった高校に進学を決めました。



下の子、早稲アカでの必勝は早慶アルファ。選抜には一度も上がれず終了しました。

ですから、早慶全勝というのは、下の子にとっては出来過ぎな結果、と言っていいと思います。
実際私も、本庄以外がどこか受かればそれで十分だと思っていました。(地理的な問題です。)

秋になってもまだ、どうにも本気エンジンがかからなかった下の子でしたが、最後の最後、12月&1月は鬼気迫る様子で頑張っていたので( ←遅い )やはりそこで伸びて、一番いい状態で受験を迎えられたのかなぁ、と私的には分析をしています。


下の子は、実は過去問もそんなにやっていませんでした。
早稲アカの授業中にやった分、がほとんどだと思います。

上の子受験時の、ボロボロになるまで過去問をやりこんだ成功体験を見ていた私は、もっと過去問をやらなくちゃ合格できないよと、何度も下の子とバトルをしたのです。
でも下の子は、過去問の問題はもう二度と出ないから、自分は必勝テキストや他のことをやる、と。購入した過去問は、ほぼ綺麗なまま終了しました。

今年の早慶附属高は問題の傾向が変わった様子ですので、過去問に重きをおかない下の子の方針も功を奏したのかもしれません。


だから受験って、本当に一人一人違うんだなぁ、と、つくづく思います。



思えば、一昨年受験の上の子から今回の下の子まで、準備期間も入れたら足かけ何年?、子供達の高校受験もこれで終了です。
そして子育ても、もう少しでゴールが見えて来ます。

だから高校受験は、私が子供達に併走できる最後の長い長い一大イベントだったように思います。


今はまだ家の中に、合格の興奮覚めやらぬ雰囲気が残っていますが、これも少したてばまた普通の日常に。

上の子を見ていても痛感しますが、せっかく勝ち取った志望校の合格を、生かすも殺すも今後の本人次第。
どの道に進もうと、結局、そこで頑張ることからは逃げられません。



東京はまだ明日、都立高校の受験がありますね。

周りが決まっていく中、最後の最後まで頑張って来た受験生達が実力を存分に発揮できますよう、心よりお祈りしています。